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4月の雪景色

4月11日

ヤビツ峠から塔ノ岳を目指して表尾根を登った。

二ノ塔を過ぎたあたりからこの季節には珍しく雪が降り出した。

すぐに景色はなくなり、山頂にいても目の前の尊仏山荘が霞んで見えるほど。

大倉尾根で下山する途中、振り返ると霧氷が広がっていた。



雪が降り出すとすぐに木々も雪化粧
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山頂の小屋も霞んで!
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振り返れば山肌に霧氷が広がる。
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麓まで下りてみれば日が差している。(戸川公園)
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公園内のチューリップが鮮やか!
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by esmori | 2013-04-12 15:47 |

江ノ島からダイヤモンド富士

4月7日
前日の暴風雨が去り天気が回復したこの日、実は6日が江ノ島から望むダイヤモンド富士がど真ん中の
日だったのですが、たぶん富士の肩あたりに沈むのかなと思って出かけてきました。


風が強く、海は荒れ模様でしたが、空気は澄み太陽がまぶしい。

いつもなら日が傾くと大気の影響で太陽は肉眼でも見れるほどに日差しが落ちるのですが
この日は空気がきれい過ぎて富士に日が落ちても裸眼で見ることができないほど。
カメラまかせに撮りました。


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神々しい光景
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最後は富士山の肩を越えて沈んでいきました。

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by esmori | 2013-04-08 07:44 | 江ノ島

2013さくら紀行 多摩森林科学園

4月6日
暴風雨と予想されたこの日ですが午前中は曇りの予報だったので、高尾まで行ってきました。

友人のブログに紹介されていたここは、高尾駅から徒歩10分ほど、多摩森林科学園。 
ここに全国のサクラの種保存のためあらゆる種類のサクラが植えられています。
種類が豊富なため、そめいよしのが終了したこの時期でもたくさんの種類のサクラが咲いて
いました。

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残念ながら曇り空で、スカットした色が出ません。

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風が吹くと花びらが舞います。
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園内をぐるっと回ると1時間半の広さです。
広大な敷地にサクラがたくさんあって感動します。

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by esmori | 2013-04-07 12:38 |

つくし

秦野駅から弘法山に登る登山口の近く


土手にはつくしが生えていた。

誰も取って食べる人はいないのだろうな~!


サクラとつくしのコラボってちょっと新鮮に感じた。



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by esmori | 2013-04-04 21:03 |

レタスのルーツ

信州 塩尻市洗馬

この地はレタスの産地として有名でサラダ街道の基点にもなっています。


ここに87歳の叔父がいます。

今は引退しましたが、農作物を育て、農地改革にも多大な貢献をした人です。


先日、久しぶりに訪れ、その叔父に会うと昔の話を始めました。

その話の内容は、日本にレタスを広めた原点の話でした。


昭和20年中頃に農業を営む叔父は、新しい作物を試したくて、その頃頻繁にアメリカに行き来していた私の父からの薦めもあり
レタスの栽培を始めました。
父がアメリカに出張した際に種を手に入れ、叔父が試行錯誤して育てたのだと思います。

たまたまこの地の高原気候が栽培に適したのかレタスはうまく育ったようです。



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収穫はできたものの、売れるかどうか分からない野菜を地元の市場は扱ってくれません。
叔父はレタスをトラックに載せ東京の築地や神田の市場(現在の秋葉原AKB劇場の裏にあった)に14時間かけて運び、売り込んだそうです。しかし市場の人間も誰もレタスを見た事が無く、またサラダの食文化も無かったため、全く売れなかったそうです。
食べ方を聞かれても分からない、ソースかけたらどう!とか、育てた叔父でさえ食べ方を知らない、まだマヨネーズのなかった時代です。


この時代に日本人はレタスを食べたことはなく、当時の進駐軍の需要に向けての販売路も模索
しなければいけなかったようです。



その後、日本の食文化も変わり、レタスを食べる量は飛躍的に増え、この地は高原レタスの一大産地になっています。





最近の近代農法では、機械化が進み大型のトラクターを畑に入れるために従来の畦道の区画を変更するなどの大規模な農地改革も必要だったようで、大変な苦労があったのだそうです。

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※参考 (登場人物は叔父とは関係ありません)
サラダの主役レタスの名産地「洗馬」を訪ねて
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by esmori | 2013-04-02 10:57 | その他